その手の本に書いてあるような書き出しだけど、日本語の「キャリア」、英語だと “career” という言葉の語源は、ジーニアス英和大辞典様によると、carrusというラテン語だそうだ。
この carrus は car、つまり「車」の意味で、ジーニアス英和大辞典様には
「車の(競争)路」→「人生路」
という、なんだか粋な説明もついている。
つまり、仕事がどうのこうのというだけではなく、社会人だろうと、学生だろうと、自分のたどってきた道のことであり、これからたどっていく道でもあるんだろう。
「同窓会」
社会人2年目、3年目くらいの頃、東銀座にある銀座zettonにさんざん入り浸っていた。
何度目かにお店に行った時、一番遠くに住んでいた自分だけが帰れなくなり、仕方なく、朝まで時間をつぶすために地下にあるバーに移動した。そこで知り合った常連組の面々に誘われ、1Fの立ち飲みデビュー。そこから入り浸る日々が始まった。
友達を誘い、その友達がまた友達を誘ってという感じでどんどん常連組が増えていった。店に行けば誰かがいる、誰もいなければ呼び出せば誰かが来るというそんな状態。
飲んだら終電どころか、朝までなんてしょっちゅうあった。冬の朝5時頃、凍えそうになりながら、有楽町駅まで歩いていった、あのなんとも言えない感じは、なぜかよく覚えている。
入り浸っていた面々は、だいたい自分と同じ社会人数年目で、よくありがちな理想と現実の狭間でもがいていたような時代だった。「俺はこんなはずじゃない」という煮え切らない思いを、無理矢理酒で流し込んでいたような日々。
そのうち、「中堅」というとらえどころのないくくりで呼ばれるようになり、会社を変わる人も増えてきて、いつの間にか店から足は遠のいていっていた。決定的に何があったというわけではないのに、ああいうタイミングは来るものなんだなということも知った気がする。
“Good drink and happy words to your mouth”というテーマでやっている、*roomという、ごくごく内輪なイベントがあって、その6回目を、その銀座zettonで開催しようと企画している。
名付けて「東銀座同窓会」。
「同窓会」というニュアンスに「にやっ」とした面々から、今までにはなかったようなスピードで参加の連絡が来ている。そのうちの一人が「「酒」を重力場として、なぜか無意味に一体感があった」と書いていたけど、たしかにあの頃のあの店には、そんな「力」が働いていたような気がする。
すっかり「中堅」になり、ばらばらの「道」を歩んでいた面々が、その道を引き返して、あの「場」に集まる。
さてさて、どんなことになることやら。
進路
今日は酒を飲みつつ、将来の進路についての話をする機会があった。
たしかに先のことはわからない。だから、選んだその「道」が正しいのかどうかなんて誰にもわからない。選んだ本人でさえ、それは確信を持って「正しかった」と言えない時だってあるだろう。
じゃあ、どうしたら良いのかということは、実は自分もわからない。わかっていたら、きっと自分だって毎日もう少し気楽に過ごしているような気がする。
ただ、ひとつ考えているのは、ある道を「選ばなかった」理由をきちんと持つようにしようということ。なんとなくだけど。
「選んだ理由」をはっきりするよりも、「選ばなかった」理由をきちんと持つ方が、後々おそってきそうな後悔の念に、対処しやすいような気がするし、自分の今までの選択を振り返っても、そういう感触がある。
年を取るということは、決断がどんどん現実的になるということかもしれないなと最近思う。この場合の「年を取る」というのは、戸籍的(?)な意味での「年を取る」じゃなくて、精神的な意味で。
6月3日の日経夕刊にファッションデザイナーの高田賢三が「身軽になってゼロから出直したい」と思って、パリの豪邸や1000点以上の美術品をオークションに出したというコラムが載っていた。
高田賢三、70歳。きっと本人は「老後をどうするか」なんて考え方はしていないんだろう。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
と言ったのは、高村光太郎だけど、ずっとずっと身軽に歩き続けていきたいものだなと思う。
