今朝、最近話していなかった会社の人と、会社の最寄り駅で一緒になって、会社に移動しながら色んなことを話していました。
その中で出たある話題について。仕事関連の話題ではあったんですが、それについて色んなことを言う人がいるけど、お互い思っていたことは「この流れはもう仕方がないよね」ということ。それは、もう周りがどうのこうの言うレベルを超えている大きな流れになっているんだという話でした。
最近の選挙もそうかもしれませんが、このところ不可逆的に見える大きな流れに興味を持っていて、そういう視点を持とうと心がけてはいます。
『易経』なんかを読んでいても、世の中にはそういう大きな流れがあるんだなということを、自分が想像できるよりもずっと大きなスケールで感じることができます。
そして、最近、仕事でもプライベートでも、そういう「流れ」みたいなものを感じることが多いです。
それは、単に、そういうことを意識し始めたから感じるのか、あるいは、そういう流れが起きてきたから意識し始めたのか。鶏と卵みたいなことを考えています。
そういう中で、寝る前は、少しでもクールダウンするために、仕事とかとは全然関係ない本を読むようにしています。最近は、かなりの時間積ん読になっていた『人間の土地』を少しずつ(本当に少しずつ)読み始めています。
高校生くらいの時は苦手だった堀口大學の訳が、こういう気分の時だからなのか、いいなぁと思います。
ただ、今日は色々と思うところがあって、振り返りたいこともあり、『調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』を手に取りました。
今、タイトルを貼り付けて改めて気づいたんですが、文庫になって「斉須政雄の仕事論」なんてタイトルがついてたんですね。「仕事論」って、なんか、ねぇ。
この手のものは、好みが分かれるものだと思いますが、自分は最初に読んだタイミングもあり、いまだに色々なことを考える(あるいは思い出す)本です。
パラパラとめくっていて、目についたのは
毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる
という言葉。
これは、この本の中でも気に入っている言葉で、実際、このblog内で「毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる」と検索してみると3件もヒットします(これを投稿した後には4件)。
どれだけ好きなんだよ、という感じかもしれないですが、今の時期、この言葉の真実味を感じながら動いているという感じですね。
言い換えれば、今一度、毎日やっていることを見直し、毎日できていないことを反省する必要があるのかなとも思います。
何はともあれ、今は、目の前の大切なことに、もっと注力しなくては。


