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カルロス・クライバー、そして「教える」ということ

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今日はのんびりと国内の色んなポータルサイトを眺めていた。それぞれのサイトが、少しずつ違ったコンテンツを持っていて面白い。

そんな中、Exciteのコンテンツの中にモーストリークラシックがあるのを見つけた。おー。そして、現在の特集が先月亡くなった指揮者、カルロス・クライバーについてだった。

kleiber.JPG

クライバーのことを知ったのは、彼の何かの公演の時のビデオだった。自分は決してクラシックに明るいわけでもないし、そのビデオは今から6年前に一度きり見ただけのものだから、何の公演で、何の曲をやったのかさえも忘れてしまった。

少し違った話を割り込ませて申し訳ないが、現在、自分は仕事で、ある新入社員の面倒を見ている。自分のことで精一杯で「面倒を見ている」なんて大層なことはできていないのが申し訳ないが、これがなかなか難儀なことなのだ。研修が終わり、そんなに時間が経っていないままプロジェクトに放り込まれたので、わからないことだらけであることは仕方がない。しかし、詳説は避けるが、そのような事情を差し引いたとしても、首をかしげてしまうことが度々ある。

そして悩んでしまうのだ。

いくら厳しく言ったところで、その人に聞く準備がなければ何を言っても言葉が伝わるのみで、内容も真意も伝わらない。「考えろ」とお決まりの文句を繰り返したところで、所詮サラリーマン川柳のネタくらいにしかならない。かといって、その場をしのぐために何から何まで教えることは正しくはないだろう。その間の頃合いが自分にはわからなかったのだ。

さて、クライバーの話に戻そう。自分が初めてクライバーを知ったのは、あるビデオだったという話をした。自分はそのビデオで、大いに彼のことを好きになったのだが、それは彼のリハーサル風景の場面を見て大いに感動したことがきっかけだ。

彼がいざリハーサルを始めて見ると、なんだか良くない。音楽だけでなく、人間関係でも「悪いわけじゃないんだけど、なんだか良くない」という場面は度々あるものだが、このような場面はとても厄介だ。大いに悪いわけではないから、積極的な打開策があるわけでもない。ぎこちないまま時間だけが過ぎていく。

しかし、クライバーは違った。いかにも覇気がない演奏を止め、話を始める。主に、ある場面で主旋律を担当するオーボエだったか何だったか(忘れてしまった…)の演奏者に語りかけるのだ。そのフレーズがどういう場面のもので、どんなイメージを映し出しているもので、というようなことを語りかけていく。言葉だけで伝えるのではなく、あらゆる擬声語や擬態語の類や、身振り手振りなど、使えるものは何でも駆使して語っていく。

印象的なのがその奏者の表情である。最初は注意をされるものだと思ったのか、苦虫をつぶしたような表情と、自分はそもそも感心がないのだとでも言いたいような表情が混ざったような表情をしていた。その表情が、クライバーの話が進むにつれ、どんどん変わっていく。まるで自分の好きな昔話に聞き惚れる子供のように吸い込まれるような表情に変わり、クライバーが語る喜怒哀楽の景色に合わせ、彼の表情も移り変わる。そして、話が終わると、少し上気したような表情の奥に、まるで別人の目があるのだ。

その後、クライバーはリハーサルを再開する。明らかに音が変わる。うちの指揮者がよく「考えないで音を出すな!」と注意をするが、まさにそれを克服し、音に命が吹き込まれているのがわかる。その時、クライバーはオーボエ奏者だけに話をしたにもかかわらず、オーケストラ全体の音が変わったのだ。明らかに。

このビデオでのクライバーは、丁寧に指導をしたかのように見える。だが、実際は彼は何もしていないのだ。「こんな感じで演奏しろ」だとか「この部分をこんな感じで」とか、演奏上の具体的な注意はほとんどしていない。そうではなく、演奏者が自律的に動くように差し向けただけなのだ。決して頭ごなしに「命令」も「指示」もしていない。その事実に気づき、大いに心を動かされた。

実際、それは決して簡単なことではない。水飲み場まで連れて行けたとしても水を飲ますことはできないと言うが、まさにその通りだ。しかし、こちらとしては何とかして水を飲んでもらわなくては困る。その時、「水を飲め!」と半ば脅すようにして、自分がコップに注いだ水を無理矢理口に近づけてやれば、飲むことは飲むしれない。しかし、それでいいのだろうか。

40歳からの仕事術』には、論理のマネジメントだけでは不十分で、感情のマネジメントも必要だと書かれている。それについては、山本さんのblogにも詳しく書かれている。

ここ最近になって、自分が人に何かを「教える」ということについて抱えていた悩みと、山本さんの言うところの「感情のマネジメント」と、そしてクライバーのあのリハーサル風景がひとつにつながったのだ。残念ながら、自分の実力が不足しているために、すぐに結果が出るようなところまでには至っていない。ただ、今後は頭ごなしに注意をしたり、あきらめて一から十まで教えるというようなことをするのではなく、その合間にある「引き出す」ということをしていくだろう。

“teach”という英単語も、”educate”という英単語も、どちらも「教える」というような感じの意味だ。確かにそれで訳は間違いではないだろうが、本質は大きく異なるのではないだろうか。”teach”という単語は元をたどっていくと”to show or instruct”という意味を表す古英語の単語にぶつかる。それに対して、”educate”という単語は、「外に」という意味を表す”ex”という接頭辞と、「導き出す」という意味を表す”-duce”という語幹に分解できる(※注1)。つまり、”teach”という単語は我々の語感の「教える」という意味に近いが、”educate”というのは、クライバーがリハーサルで見せた、あのやり方そのものなのかもしれない。

自分に対して謙虚で、それ以上に人に対しても謙虚で、人の良いところを引き出していけるような、そんな人間になれれば幸せだなぁ。クライバーのことを思い起こしながらそんなことを考えていた。明日はクライバーの録音でも引っ張り出して聴いてみようか。

※注1:ご存じの人はご存じだろうが、この場合の”ex”は、語幹の”-duce”に引きずられて”ed”に変わり、それだとDが重なってしまうのでDが落ちて”e-“だけになった。たぶん。

追記
上で書いていたクライバーの映像、これのような気がしてきました↓

dvd.jpg
名指揮者の軌跡Vol.1 クライバーの《こうもり》序曲/《魔弾の射手》序曲

いざネタ元がはっきりしてしまうと、自分の記述の適当なところがバレますね…。きちんと買ってチェックします。

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