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実力は正直

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もう3月。

新しい月になると、それだけでなんとなくやる気が出てくるものですね。サボり気味だった英語のメルマガも発行しました。読者の皆さま、ごめんなさい。

今日は、とあるところに掲載される記事の元になる座談会に参加してきた。内容は、この4月に新入社員となる人から寄せられた質問を中心に、社会人歴2年目から4年目くらいの人で語らうというもの。面白かったです。

社会人と言いつつ、今度の4月でやっと3年目を迎える若造。エラそうなことを言うものの、それらは全部自分に言っているようなもの。いろいろな質問に対して、自分のコメントを伝えたけど、自分のコメントを思い切り強引に要約してしまうと、「実力は正直」だということ。

学生時代の自信を「貯金」として社会人生活に持ち込んでも、もはやそれは使えない場合が多い。しかし、ついついそれにしがみついて「俺はこんなはずじゃない…」と焦る。「俺は学生時代にあれもこれもやってきたんだ。そんじょそこらの社会人より、俺はデキル!」なんて勘違いをする。しかし、残念ながら多くの場合、そうではないのだ。社会に出たら、学生時代の「貯金」はえてして使えない。

結局、学生時代の「貯金」はあきらめて、社会人としての「貯金=実力」を蓄えていくしかない。そのためには、昨日のエントリーでも書いたように、とにかくやるしかないんだろうな。

ともあれ、今日は良い刺激になりました。

3 thoughts on “実力は正直

  1. たまには反論のコメントがあってこそBlogです。というわけで、
     「学生時代の貯金は使えない」に反対です。
    もちろんaraiさんが、ある程度の考えを併せ呑んだ上で主張を展開してることを考慮しつつ、対論。

    1. 「心情的」に、4年ないし僕は6年間学生をやって、それが自身の実力として現実に役に立たないと思うのは寂しい。というか、誰がどう言おうが、学生時代いっぱい学んだ。例え哲学を学んでいようが、それは糧であり、実力へのバイアスであるのは間違いない。その力は、そんじょそこらの社会人たちへ見せつけるべき。

    2. 「僕の主張」として、社会人は「頭脳」「集中力」「報連相」がすべて。それを教えてくれるのは大学だった。そして、お金を取れるクオリティーにしてくれた場所が会社でした。上の3つを大学で学べなかった人は不運だし、逆に大学は講義の中で上の3つへ導く何かを指し示すべき。僕は、ある先生の一言で全て変わった。「大学は遊びじゃない、社会へ貢献するアウトプットをするところ」

    だから、いたるところで僕は大学で学べと主張します。単なるモラトリアム収容所じゃない。いい所だと。

  2. 貴重なコメントありがとう。

    あっさりですが、kenyamさんの反論に大いに賛成です。ここで本当に言いたかったことは、

    ・学生時代の学外の活動で得た自信を「過信」に変えるな
    ・学外の活動をやっていた場と社会はルールが違うことを認識しろ

    ということかな。

    自分の書き方が言葉足らずだったので、補足しましょう。

    > 学生時代の自信を「貯金」として社会人生活に持ち込んでも

    と書いた部分ですが、この「自信」という言葉は「過信」に近い意味の「自信」です。

    これは自分自身が感じてきたことなんだけど、学生時代、英語のサイトなり、ベンチャーを手伝ったりした経験を、会社に入っても「貯金=過信」として持ち込んでいたんですよ。結構最近まで。

    で、そういう自分を煩わしいなと思って、遅ればせながらそんなものを捨て去って、ゼロからやろうと思ったのがここ最近。気づくのが遅かったなと後悔しながら、やり直しているのが今の自分です。

    自分は大学・大学院の中で学んだことは大いに役に立っていると思うし、コメントに書いてくれた「頭脳」「集中力」「報連相」の基礎ができたのが、その時代だと思う。なので、いい所だと自分も思ってますよ。

    ただ、最近はモラトリアム収容者として過ごしている人がいる反面、自分で団体を作ってみたり、イベントをやってみたりと、大いに大学の外で活動をしている人が多いでしょ?

    彼らを見ていると本当にすごいなぁと思うし、学生時代にしかできない貴重な経験だけど、それをあまり引きずらずに社会に出て欲しいと思うんだよね、老婆心だけど。

    というのも、自分で団体を作ったり、イベントをやったりする時に、そこにあるルールは大抵自分が作ったものなんだよ。複数の人間でやったりしていても、そこにあるルールというのは、自分が作ったもので、つまり比較的自分に優しいルールになっているはず。

    そのルールの下、活動をして、それで活躍したり、結果を出すのは大いにすごいし、その結果を自信として持って欲しいんだけど、過信はして欲しくない。社会は、残念ながら自分が作ったルールとは別のルールで動いているから。

    ルールは違うと言っても、もちろん全く別物ではないかもしれない。例えば、中学の部活の時に覚えたバスケのルールとNBAのルールが違うという差。いくら中学でゾーンディフェンスの達人だったとしても、それをNBAでやろうとしてもダメ。良い悪いじゃなくて、NBAではゾーンはダメっていうルールになっているだけだからのこと。

    そういう「ルールの違い」みたいなものを、遅ればせながらやっと気づいて、今、慌てて勘違いして進んできてしまったところの方向修正をやっているところなのですよ、自分は。

    自分の軸を持ち続けることは必要。ただし、ルールは持ち込まない。違うルールがあるということを認識して、そのルールをきちんと知り、実践する努力をする。危ないのは、自分みたいに、別のルールの存在を知りながら、いつまでたっても自分のルールでごにょごにょやろうとして、新しいルールの中身を知ろうとはしないようなこと。

    そういうことを伝えたかったのです。

    どうでしょ?

  3. 納得。コメントの長さに圧倒されましたw

    例えば自分は、八方美人で、さらに、郷に入っては郷に従っちゃう。だから、入り口はルールの流れに入っていくんだけど、学生時代の自分のルールとは大抵フィットしない。
    そのときに、達観して絶対自分が正しいって新しいルールを無視しちゃうときもあるけど、それはいちばん精神的にもよくないし大抵自分が間違ってる。その点ではaraiさんと同意見。変わらなきゃって思います。

    最近は、そこを意識してという訳ではないのだけど、ととにかくギャーギャーってそのルールの源泉の人(先輩や上司)に刃向う。そこで悔しい思いするんだけど、実はそれがいちばん楽しい。自分が正しければ向こうが変わるし、向こうが正しければこっちが成長する。それが面白くて仕方ないです。

    ではでは

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